お釈迦様は無我相経で、
五蘊のどこにも私はいない」と説かれました。
後世の仏教学者はそれを、
「私という実体はない」と演繹し、
空の哲学を構築しました。
お釈迦様にとって実体かどうかは問題ではなく、
自我への執着を解く為には、
「そこに私はいない」との確認だけで、
十分だったはずです。