未だ究竟法において、
Nāma(名)とRūpa(色)を識別できず、
様々な対象に対するTaṇhāを、
抑制できないうちは、
一切を空とは見ずに、
持続的に存在する現象であるかの様に扱いながら、
名色の各相を随念し、
禅定によって渇愛を抑制していきます。
その上で「一切は空」との随念に進んでいきます。