Dosaによる不善思考が
制御できない時は、
自分にプレゼントをあげて下さい。
Candleつきの食事、長い泡風呂、
温泉旅行、一番好きな音楽。。。
怒りの思考を止め、
心に喜びを感じられるなら何でもいい、
人は無明の中で心の均衡を保ちつつ
成長していくのです。
(ただし日々の瞑想だけは休まずに!)
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影響力を保持したいと願う他人の心中で、
自分の存在が薄れていくのを実感すると、
人は孤独を感じます。
故に凡夫は孤独を避け、
温もりの中で孤立することを好むのです。
私はあなたとは違う!...
森に住む聖者には孤独も孤立もありません。
生きとし生ける一切の有情の安楽を、
心から願っています。
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所縁が生起する兆候に気づくべきか、
その所縁を知覚すべきか、
知覚するなら如何に反応すべきかについて、
心に三層のManasikāra(作意)のフィルターがあると
観想して下さい。
どんな汚濁が水道管に堆積していても、
この強力なフィルターを通って蛇口から流れる水は、
いつも清らかで澄んでいます。
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凡夫は形ある対象から
喜びが得られると期待してしまいます。
その思いが欲望を生み、
「私」という謬見が加わって、
「私のもの」という執着が生じます。
そしてその執着に執着し始めるのです。
これらの要素の一つ一つを観察し、
正確に分析していくだけで、
欲望は魔法のようにしぼんでいくでしょう。
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真理は言葉で語りうると、
疑わない人々がいます。
Dhammaの真髄と三蔵の関係は、
音楽と楽譜の関係に相似です。
楽譜は図面に過ぎず、
人を感動させる音楽を奏でる事は、
全く別の次元の話であるように、
三蔵を学ぶだけでは心は清まりません。
私達は心のピアノを、
実際に奏でなくてはなりません。
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他者の幸不幸は他者のものです。
幾ら想いや言葉や行動や教えや財を布施しても、
あとは彼等に委ねるしかありません。
破ることのできぬ個体化の原理の中で、
誰もが孤独です。
私達自身、足のすくむ未結実の不善業果を
引きずりつつ、何もできずにいます。
この無力感を埋めるもの、それが祈りです。
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利益や名声、名誉など、
予期せぬ幸運が訪れた時、
感情を高ぶらせるのは愚かなことです。
それらが失われる時、彼は今度は
失意の涙を流すに違いありません。
世事の運不運は過去の複雑な業果による、
八世法の気まぐれと流しておきましょう。
賢者は出世間福だけを求めて、
善行を蓄積していきます。
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追い詰められて絶体絶命に陥った夢を見た時、
あなたの対処法は次のどれですか?
1. そのままピンチの主人公を演じ続ける。
2.「これは夢だ」と達観しつつ、そのまま夢を見続ける。
3.「これは夢だ」と知って、目覚めてしまう。
お釈迦様の中道は3.に相応します。
眠るのを止め、涅槃に入るのです。
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あなたが日々感じる一切の苦を、
受け入れてみましょう。
苦から眼をそらさずに、
ありとあらゆる苦しみを、
苦しみと認めてみましょう。
バンドエイドで出血を抑えながら
生きていくのは止めましょう。
苦は超越すべきものです。
覆い隠して、まるで存在しないかのように、
振る舞ってはいけません。
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肉体がとても痛む時、
心がとても苦しい時、
それは輪廻転生の苦しみだと知って下さい。
どんな疫病に感染したとしても、
誰があなたをおとしめたとしても、
あなたの苦しみを、
卑近な物や人のせいにしてはいけません。
結局それは人間として生まれ人間として死んでいく、
この身の苦に他なりません。
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私達が鍛え上げ、栄養を与え、
美しい体型の維持の為に、
お金をかけているこの肉体の終着駅は、
火葬されてカスカスの骨と灰になるか、
腐敗し乾燥して土化するか、
他の生物の胃で消化され排泄されるかです。
この身体には実体がなく、
いつでも焼かれ、腐敗し、土化し、
排泄されてしまうのです。