楽を伴う現象であれ、喜を喚起しうる現象であれ、
苦を伴う現象であれ、憂を喚起しうる現象であれ、
いかなる快不快の判断もせず、
一切の業果をありのままに受け入れつつ、
息を吸って下さい。
次に人として生まれ八正道を歩んでいる
この仏縁への感謝の想いに打ち震えつつ、
息を吐いていくのです。

無明は人の眼を覆い、
無常性を常住と、行苦性を常楽と、
無我性を主体と、不浄性を浄美と、
見誤らせます。
バケツ一杯の水をコップに注ぐことはできず、
こぼれ落ちたダンマは、
無明によって曲解されてしまうのです。
これが伝法内容を禁他見とする理由です。
ダンマには本来、秘密などありません。

祝福は光と共にあります。
三宝に護られていると実感すると、
心は光り輝き感謝の思いで一杯になり、
謙虚さが全身を席巻します。
善なる想いの感染力は圧倒的です。
菩提心が強く清らかに燃える時、
私達は身体の内側が明るく輝き、
まばゆい光が自身と信の対象を
一つにしてくれているのを感じます。

「名前ってなに?
バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても、
美しい香りはそのまま。。」
シェークスピアはジュリエットに語らせました。
究竟法と世俗法の違いがここにあります。
Satiとは、バラという言葉を想起することなしに、
一瞬一瞬、その瞬間の美しい香りを
経験し続けることに他なりません。

私達は自分で気づいていない計り知れない能力を、
心奥に秘めています。
せっかく人間として生まれたにも関わらず、
過去世で蓄積した福徳を十二分に開花させない事は、
過去世の精進を踏みにじる不善行です。
また能力を開花させるべく努力している
他人を妨害することは、さらに重篤な不善行です。

ダンマを学び瞑想修行をしているのに、
以前より扱いづらい性格になっていないか、
自らをよく観察してみて下さい。
修行が進めば進むほど、
どんどん人に優しくなるはずです。
自らの浅薄な知識に慢心を持っていませんか?
仏の慈悲の前に一切は無力です。
私達の世俗的判断など一瞬で吹っ飛びます。

Dhamma Shoppingを続け、
様々な道のいいとこ取りをしようとすれば、
二兎追う者は一兎をも得ずで終わります。
波羅蜜ある者は正道に選ばれ、発菩提し、
三宝への炎の様な菩提心に自らを放棄し委ねます。
自分の判断で道を選び、自力で歩こうとする者は、
正道が現れても気づかず見逃してしまいます。

スタンザを一度読んだだけで、
内容を知った気になる人がいます。
彼はただ地図を手に入れたに過ぎません。
経典のどこにどんな法が明かされているか、
それを知って安心しているに過ぎません。
スタンザを暗記も随念もせぬ人は、
いくらダンマを知っているつもりでも、
実は何も身につけていません。

いかに解脱を確実なものするか?
私達人間は皆、解脱する能力を持っています。
そうでなければ人間として生まれてきません。
たとえ心が煩悩に汚染されていても、
たとえ心身に障害を持っていても、
必ず解脱へと舵を切る事ができます。
私はどうしてもその事実と方法を
皆さんにお伝えしたいのです。

いま私達が親しく仏教を学べるのは、
貴重なお釈迦様のダンマを2600年もの間、
バケツリレーのように現代まで正確に伝え続けて下さった、
名もなき多くの先達の方々がおられたからです。
そのご恩に少しでも報いる為に、
私達は大切な御法を感謝の心で学び、
次の世代へ謙虚に伝えたいと願うのです。

何かを為そうとの意志が生じた時、
結果に至る一連の行為をよく分析しましょう。
目的達成の為には多少の不善行為も厭わない、
結果の正当性はそこに至るプロセスをも是認する、
と考えるなら、
私達は大きな間違いを犯しています。
結果ではなく、一切の不善を為さない、
ということが重要なのです。

人間界は聖俗が同居している、
混沌とした境界です。
清らかな心には、
光り輝く法悦の世界が映ります。
心が穢れていれば、
貪瞋痴の三毒で汚れた現象が、
浄眼を曇らせます。
人間界には六欲天の佇まいがあり、
同時に四悪趣の汚臭に溢れています。
人間の世界でどう生きるかは、
私達の心次第です。

Apple創始者であるSteve Jobsは33年間、
毎朝、鏡を見て、
「もしも今日が人生最後の日だったら、
私は今からやろうとしている事を、
本当にしたいと思うだろうか?」
と自らに問うてきたと語りました。
彼は日々、正に死随念を行じ、
己が業を如実に受け入れつつ、
最善の果実を紡ぎ出したのです。

人生は私達が想像するより、
ずっと奥深く味わい深いものです。
何度か絶望のどん底に堕ち、
浮世の地獄を経験してきた人の、
欲のない明るさや機嫌のよさは、
とても仏教的であり、
感動的ですらあります。
徳が充ち時が熟せば、
必ずや彼は祝福されるでしょう。
仏教者はみな斯く生きたいものです。

一瞬、思考が止まり心が静まると、
そのままスーッとサマーディに入りそうになる、
心がその状態に至るまで、
徹底的に善行を続けて下さい。
財施、法施、無財の七施
ありとあらゆる善行を、
心と身体を尽くして力の限り行うのです。
一見遠回りに見えますが、
実はそれが禅定に至る最速の方法です。