楽を伴う現象であれ、喜を喚起しうる現象であれ、
苦を伴う現象であれ、憂を喚起しうる現象であれ、
いかなる快不快の判断もせず、
一切の業果をありのままに受け入れつつ、
息を吸って下さい。
次に人として生まれ八正道を歩んでいる
この仏縁への感謝の想いに打ち震えつつ、
息を吐いていくのです。
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無明は人の眼を覆い、
無常性を常住と、行苦性を常楽と、
無我性を主体と、不浄性を浄美と、
見誤らせます。
バケツ一杯の水をコップに注ぐことはできず、
こぼれ落ちたダンマは、
無明によって曲解されてしまうのです。
これが伝法内容を禁他見とする理由です。
ダンマには本来、秘密などありません。
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ダンマを学び瞑想修行をしているのに、
以前より扱いづらい性格になっていないか、
自らをよく観察してみて下さい。
修行が進めば進むほど、
どんどん人に優しくなるはずです。
自らの浅薄な知識に慢心を持っていませんか?
仏の慈悲の前に一切は無力です。
私達の世俗的判断など一瞬で吹っ飛びます。
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スタンザを一度読んだだけで、
内容を知った気になる人がいます。
彼はただ地図を手に入れたに過ぎません。
経典のどこにどんな法が明かされているか、
それを知って安心しているに過ぎません。
スタンザを暗記も随念もせぬ人は、
いくらダンマを知っているつもりでも、
実は何も身につけていません。
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いかに解脱を確実なものするか?
私達人間は皆、解脱する能力を持っています。
そうでなければ人間として生まれてきません。
たとえ心が煩悩に汚染されていても、
たとえ心身に障害を持っていても、
必ず解脱へと舵を切る事ができます。
私はどうしてもその事実と方法を
皆さんにお伝えしたいのです。
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いま私達が親しく仏教を学べるのは、
貴重なお釈迦様のダンマを2600年もの間、
バケツリレーのように現代まで正確に伝え続けて下さった、
名もなき多くの先達の方々がおられたからです。
そのご恩に少しでも報いる為に、
私達は大切な御法を感謝の心で学び、
次の世代へ謙虚に伝えたいと願うのです。
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何かを為そうとの意志が生じた時、
結果に至る一連の行為をよく分析しましょう。
目的達成の為には多少の不善行為も厭わない、
結果の正当性はそこに至るプロセスをも是認する、
と考えるなら、
私達は大きな間違いを犯しています。
結果ではなく、一切の不善を為さない、
ということが重要なのです。
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Appleの創始者であるSteve Jobsは33年間、
毎朝、鏡を見て、
「もしも今日が人生最後の日だったら、
私は今からやろうとしている事を、
本当にしたいと思うだろうか?」
と自らに問うてきたと語りました。
彼は日々、正に死随念を行じ、
己が業を如実に受け入れつつ、
最善の果実を紡ぎ出したのです。