四資具(衣食住薬)は本来、
生存の苦を軽減する贅沢品です。
冬の寒さや悪天候の中で、
私達は如何に四資具に依存しているかを
痛感します。
四資具は過去世の善業の結果として
享受している事を知らねばなりません。
四悪趣では四資具は満足に得られず、
衆生の苦はたいへん大きなものになります。
■
眼の前に存在する、あるがままの世界は、
そのまま真実です。
しかしその世界についての記述は、
真実ではありません。
この二つを混同してはなりません。
世界についての記述は常に謬見に陥ります。
それは戯論と呼ばれます。
戯論がつきたとき、心は鏡のように鎮まり、
記述できない真理が現れます。
■
一切の現象には実体がなく空である、とは、
陽炎の如き幻影だという意味ではありません。
ここで時間とは何かが変化する時に生ずる物差しです。
生から滅への時間的変化が老です。
生起がなく消滅もなければ変化もなく時間もありません。
それが実体であり涅槃です。
そうでないものを空と呼ぶのです。
■
無明は暗闇、叡智は光明。
光明の前で、暗闇は無力です。
漆黒の中、手探りで生きるのは
やめましょう。
光を当てれば一瞬で解決します。
心の隅がまだ暗ければ、
光を当てて解決して下さい。
仏智は太陽の光の如し。
ダンマの大光明のもと、
すべては明らかになります。
正見は謬見を完全に駆逐します。
■
或る事象が自分に良くない知らせを
もたらしそうな時、
先ず私達は心の状態に
注意を払わなければなりません。
もし心が十分に強くないなら、
その事象に対峙する前に、
心をダンマのご加護と積極的展望で、
パンプアップして下さい。
そうして初めて、
勇気をもって問題に立ち向かい、
改善することができるのです。
■
どのような分野であれ、他人と競えば、
貪りや慢心、敵意や嫉妬が生じます。
故に他人と競争してはいけません。
打ち負かすべきは自分の限界です。
昨日までの自分の能力の限界を、
今日、越えていく。
これはSelf-transcendence(自己超越)と呼ばれ、
私がずっと大切にしている修行の秘密兵器です。
■
魂の道を見失ってしまった人々の為に仏教を説く。
固有の伝統様式に執われず、
上座と大乗の二辺をも超越した仏教。
誰の心をも豊かにする、
清らかさの実践法としての仏教。
日本の先祖供養の慣習を包含する、
懐の深い仏教。
もし今お釈迦様が生きておられたら、
きっと説かれたであろう仏教を説く。
■
Aの故にBが生ずる、という論法を
ダンマの読取りにそのまま使えば、
一切は戯論となります。
涅槃証悟に至る縁起は、
十二縁起を熟知した上で、
各支間に働く二十四縁起の
複雑な関係性を解きほぐしつつ、
名色を識別する事で看破できるのです。
十二支、二十四支の縁起の習得が
必須である所以です。