修行の一進一退を気に病む事なかれ。

修行とは我見を離れるプロセスです。

我見がなければ修行する当体はなく、

修行の一進一退もありません。

熟達した沙門の修行は単純です。

一瞬一瞬生起消滅する名色の連続体を、

ただあるがままに智見していく。

やがて彼の名色の生滅が止まり、

寂滅が訪れます。