2018-12-31 ■ 修行の一進一退を気に病む事なかれ。 修行とは我見を離れるプロセスです。 我見がなければ修行する当体はなく、 修行の一進一退もありません。 熟達した沙門の修行は単純です。 一瞬一瞬生起消滅する名色の連続体を、 ただあるがままに智見していく。 やがて彼の名色の生滅が止まり、 寂滅が訪れます。