過去や未来、施設(せせつ=概念や思考)を摑み、

今この瞬間から目をそらす事は、

輪廻の生存を摑む事に他なりません。

それらを厭い、 今この瞬間の対象に我を忘れられるなら、

それが解脱に至る修行の実践となるのです。

さらに、 今この瞬間の名色からも厭い離れられれば、

それが涅槃への門です。