私の心は今何をしようとしているのだろうか?
どんな衝動が生じているのだろうか?
もし私が煩悩のままに行動すると
どんな結果をもたらすのだろうか?
私達は常に自分の衝動と
それがマニフェストする身口意の三業に
気づき目覚めていなくてはなりません。
空虚で不必要な言動は慎まねばなりません。
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戒とは何でしょうか?
僧伽のルールであれ、自律のルールであれ、
守ると自分で決めた修行ルールを
一切の妥協なく守る、
鋭いサティを以て六根を防御する、
それが修行者の持つべき本当の戒です。
他人が決めたルールの表面を
なぞるように守ればよいというのは、
戒を軽視している事に他なりません。
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心がクサラの状態で眠りについていると、
夢の中に聖なる師が現れて、
私達に何かを示すことがあります。
その時は夢の意味を
よく噛みしめることが大切です。
聖なる師が私達の手を握り、
師との関係を思い出させてくれる、
そして私達の手を取って、
正道に導いてくれているんだと
理解して下さい。
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心の中にシュラインを建立して下さい。
そこに救いの拠り所=仏法僧のシンボルとなる
ニミッタをお祀りして下さい。
そしていつでもどこでも、
心のシュラインと会話を続けて下さい。
分からないことがあれば、
シュラインに問いかけて下さい。
決断すべき大切な事は
シュラインと共に決断して下さい。
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世の中には怒り、悲しみ、不安、嫉妬、
悔恨、物惜しみ等、
Dosaから生ずる様々な負の感情に
無抵抗の人々が多くいます。
Dosaを制御せず、
自分は被害者であるかの如く
そのまま受け入れて正当化すると、
周りの人々やとりわけ自分自身を
とても不幸にしてしまいます。
幸せ上手にDosaは不要です。
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慈悲の瞑想のMettāとは
個々の生命への慈愛ではなく、
一切生命への無条件の慈愛です。
この二つは似て非なるものです。
この瞑想には二つの要素しかありません。
どの位広い領域に存在する一切生命か、
そしてそれらに対する無条件の慈愛が
今この瞬間に心に生起しているか、
それがMettāの根幹です。
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故に死随念は行者が毎日修するべき
自身を守る四つの「四護衛禅」に
含まれているのです。
死随念は毎朝一番最初に行ずるのが
よいでしょう。
今日は私の人生最後の日である、
と念ずる事により、
戯論と貪りに流れやすい一日に
ピリッとした香辛料のような
味わいある緊張をもたらしてくれます。
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あなたはあなた自身として
日々を送っているのではなく
単にあなたはあなた自身を
演じているだけなんだという
そこはかとない感覚を感じた事がありますか?
あなたには未だ見ぬ故郷があり
ここでは異邦人なんだと感じる
あの郷愁はとても大切です。
それは我見という大きな岩山を砕く
蟻の一穴です。