ダンマは学び、実証し、伝えるものです。
議論するものではありません。
ダンマが生きているか、
仏陀の正統な教えかどうかを知る唯一の方法は、
実際に自分で修行してみることです。
それ以外に方法はありません。
ダンマの正当性を確信できたら、
後は聖黙してまっすぐ突き進んでいけばよいのです。

名色は各刹那に生起消滅し、
そこに内在するのは
無常・苦・無我だけである事を知ると、
この世界の存在がいかに脆く危ういかを
しみじみと悟ります。
世界が常住で右肩上がりに発展する
前提で生を捉えるのは、
PositiveではなくStupidです。
ぬかるみを歩くが如く、
念を以て無執着に生きて下さい。

眼を閉じた瞬間、外界が遮断され、
入出息が瑞々しく現れる。
そこが私達の住むべき家です。
世間では人々が貪りの対象を追って
右往左往しています。
賢者は掴んでいる手を離し、
そこから立ち去り、
眼を閉じて何もしない事を選びます。
苦受の人は世界を掴み、
楽受の人は世界から離れて住します。

毎瞬、名色が生起する時、
一刹那前に必ず名色の消滅があります。
名色は動揺しつつ生起し、
動揺しつつ消滅します。
釈尊は、一切の名色は苦であると説かれました。
生起消滅する名色は動揺するが故に苦です。
生起がなければ動揺も苦もありません。
名色が消滅すれば、絶対の平安=涅槃が現れます。

世界がどんどん壊れていく、希望はついえ、
一切は藁草ほどの価値もない。
そう感じるなら、
あなたは人生の最重要な局面に立っています。
その苦は今の世相に限ったものではなく
輪廻世界に本源的に内在する苦です。
自分と世界の過去を振り返れば、
どの瞬間も耐えきれぬ苦で
涙を流しているのです。

右頬を打たれたら左頬を出せとイエスが説いた時、
多くの信者が離れていきましたが、
彼の説法は正しかった。
右頬を打たれるのは過去の不善業の結果であり、
更なる不善業があれば左も打たれるし、
無ければ打たれない。
いずれにせよ左頬を出して害意無きを示す事は
ダンマに適う最上の選択でした。

And then what?
「で、それからどうなるの?」
私達が未来を夢見て人生設計をする時、
この魔法の質問を忘れてはなりません。
どんなゴールを立てる時も
必ずこの問いをしてみること。
もしあなたの答えが
「いつまでも幸せに暮らしましたとさ!」
で終わるなら、
そのゴールは悪魔の手中にあります。

私の自己診断:
信が湧き上がっているか?
善行を十分為しているか?
心は専注すべきに専注しているか?
随念で三相を味わっているか?
五感と思考はよく抑制されているか?
目標到達を焦らず忍耐を楽しんでいるか?
以上の各項を十分チェックした後、
熱き思いを以て、勢いよく突き進んでいくのです。

瞑想したくない、随念したくない、
偈頌の暗記に身が入らない、
そんな日もあるでしょう。
そういう時は初心に返り、
仏教修行が自分に何をもたらしてくれたのか、
それが自分にとって如何に必要なものだったのかを、
思い出してみましょう。
したいかどうかではなく、
必要かどうかで判断して下さい。

渇仰心の源泉をどこに求めるか?
「渇仰心の火を絶やさず」とは言葉の綾で、
実際には毎瞬新たに湧いてくるのが渇仰心です。
苦の滅尽や涅槃証悟等の大誓願は、
低い意識では形骸化し、渇仰心を生みません。
行の楽しさや道を一歩一歩進む充実感、
そんな小さな喜びの中に渇仰心を育てていきましょう。

快楽に耽る質を持つ人は
他人も快楽に耽る質を持つと見、
官能に従って生きる人は
他人も官能に従って生きると見、
怒りのままに生きる人は
他人も怒りのままに生きると見、
機会が訪れると自らの欠点を他人の中に見出して、
ここぞとばかり徹底的に攻撃します。
そして手中の僅かな福徳を失うのです。

囚われた心は地を這い回る虫。
自由な心は大空を飛ぶ鳥です。
独りの自由な人間として
息を吸い息を吐いて下さい。
自由とは何ですか?
いかなる思考からも自由でいること、
いかなる先入見からも自由でいること、
貪瞋痴の煩悩から自由でいること。
それが安般念のゴールです。
あなたは自由ですか?

一切皆空とは、
現象を如実に識別し
内在する三相を看破した上で
語られる表現であり、
その言葉の表面的理解が
人を空の実相に導くのではありません。
言葉からダンマを学ぼうとする限り、
言語作用は戯論です。
仏法では言葉は単なる目安に過ぎず、
言語をいくら精密に追っても、
何も得られません。

私達は概念の夢想家ではありません。
涅槃とは何か、輪廻とは何かとあれこれ夢想する前に、
五門に現れる七種の感覚を、
現実として受け入れて下さい。
先ず感受し、観察し、識別し、理法を了解し、
渇愛から解放されねばなりません。
そのとき涅槃も輪廻も、
真如の姿を私達に見せてくれるでしょう。