ダンマは学び、実証し、伝えるものです。
議論するものではありません。
ダンマが生きているか、
仏陀の正統な教えかどうかを知る唯一の方法は、
実際に自分で修行してみることです。
それ以外に方法はありません。
ダンマの正当性を確信できたら、
後は聖黙してまっすぐ突き進んでいけばよいのです。
■
名色は各刹那に生起消滅し、
そこに内在するのは
無常・苦・無我だけである事を知ると、
この世界の存在がいかに脆く危ういかを
しみじみと悟ります。
世界が常住で右肩上がりに発展する
前提で生を捉えるのは、
PositiveではなくStupidです。
ぬかるみを歩くが如く、
念を以て無執着に生きて下さい。
■
眼を閉じた瞬間、外界が遮断され、
入出息が瑞々しく現れる。
そこが私達の住むべき家です。
世間では人々が貪りの対象を追って
右往左往しています。
賢者は掴んでいる手を離し、
そこから立ち去り、
眼を閉じて何もしない事を選びます。
苦受の人は世界を掴み、
楽受の人は世界から離れて住します。
■
世界がどんどん壊れていく、希望はついえ、
一切は藁草ほどの価値もない。
そう感じるなら、
あなたは人生の最重要な局面に立っています。
その苦は今の世相に限ったものではなく
輪廻世界に本源的に内在する苦です。
自分と世界の過去を振り返れば、
どの瞬間も耐えきれぬ苦で
涙を流しているのです。
■
And then what?
「で、それからどうなるの?」
私達が未来を夢見て人生設計をする時、
この魔法の質問を忘れてはなりません。
どんなゴールを立てる時も
必ずこの問いをしてみること。
もしあなたの答えが
「いつまでも幸せに暮らしましたとさ!」
で終わるなら、
そのゴールは悪魔の手中にあります。
■
私の自己診断:
信が湧き上がっているか?
善行を十分為しているか?
心は専注すべきに専注しているか?
随念で三相を味わっているか?
五感と思考はよく抑制されているか?
目標到達を焦らず忍耐を楽しんでいるか?
以上の各項を十分チェックした後、
熱き思いを以て、勢いよく突き進んでいくのです。
■
瞑想したくない、随念したくない、
偈頌の暗記に身が入らない、
そんな日もあるでしょう。
そういう時は初心に返り、
仏教修行が自分に何をもたらしてくれたのか、
それが自分にとって如何に必要なものだったのかを、
思い出してみましょう。
したいかどうかではなく、
必要かどうかで判断して下さい。
■
快楽に耽る質を持つ人は
他人も快楽に耽る質を持つと見、
官能に従って生きる人は
他人も官能に従って生きると見、
怒りのままに生きる人は
他人も怒りのままに生きると見、
機会が訪れると自らの欠点を他人の中に見出して、
ここぞとばかり徹底的に攻撃します。
そして手中の僅かな福徳を失うのです。
■
囚われた心は地を這い回る虫。
自由な心は大空を飛ぶ鳥です。
独りの自由な人間として
息を吸い息を吐いて下さい。
自由とは何ですか?
いかなる思考からも自由でいること、
いかなる先入見からも自由でいること、
貪瞋痴の煩悩から自由でいること。
それが安般念のゴールです。
あなたは自由ですか?