不快を感受する時、
明らかに外因に依るように見えても、
実は自らの過去の不善業の結実に過ぎず、
真の因は内にあると知らねばなりません。
内因を外因と取り違える時、
それは悪意(Vyāpāda)と呼ばれます。
悪意の故に他を攻撃せんとすれば、
害意(Vihiṃsa)という四悪趣への道に堕ちていきます。