善業であれ、不善業であれ、
つくられたすべての業は、
業果を生じます。
善果は善なる境涯へ、
悪果は四悪趣へと結実することにより、
どちらにしても私達を無明の生存へと縛るのです。
つまり善/不善業の根本因は無明であり、
「無明によって行(=業)が生ずる」
とは正にこのことを指しています。