見解をたがえ、異なる道を歩む仏教者であっても、
求道に対して真摯で誠実で謙虚な方ならば、
私は強い敬意と同志愛を感じます。
しかし、
三宝に対してとろけるようなSaddhāを持っていない方
・自分が体験していない事を耳学問で書いたり語ったりする方
こういう方だけは私はどうしても苦手です。

身体的苦とは神経で感じる体の痛みです。
心的苦とは物事が望むようにならず、
受け入れがたい時、心で感じる苦しみです。
行苦とは輪廻の生存そのものに対する、
嫌悪・厭忌・嘔吐です。
人は行苦を智慧で看破し、
無常と苦の奈落に足がすくみ、
無我という実相に戦慄し、
自らの無力に愕然とします。

素直に謝る -
素直に教えを乞う -
困った時は心から支援を懇願する -
みんなで力を合わせる -
優れた能力のある人に従う -
我を出して周囲を不快にさせない -
組織を私物化しない -
そうすれば自然に成功と繁栄が訪れます。
そしてその鍵が謙虚さ、誠実さ、自我の抑制であることが、
よくわかります。

さあ、共に善知識を目指しましょう。
周りの方々の心に、
菩提心を喚起させるような人になりましょう。
言葉はいりません。
心が大慈悲に満ちていれば、
そこに居るだけで自然に、
周りの人にも善き心が生起するのです。
故に釈尊は、善知識と共にある事こそ、
修行生活のすべてであると説かれました。

一日一回、毎朝か毎夕、
慈経を随念しましょう。
一行一行、一語一語、
心が震える程の感動を実感しつつ、
唱えていくのです。
虚ろに読んでしまったら、心に染み入るまで、
その箇所を何度も繰り返します。
そうすれば慈悲の想いは心深く沈殿していき、
私達の人生は音を立てて変わっていくでしょう。

どんな小さな事でも「善かれ」と願いつつ、
慈愛の光でその人を包みこむような気持ちで、
言葉を発し、行いを為しましょう。
あなたは苦の終焉の為に、積善を誓願したのです。
故にどんな小さな善行でも、
あなたの修行成就の一助とならないものはありません。
必ず大きな波羅蜜となってくれるのです。

幸福はものや環境や他の人々から、
得られるものではなく、
自らの行為によって勝ち取るものです。
もし誰かを幸せにしたいのなら、
慈悲を実践して下さい。
自分が幸せになりたいのなら、
やはり慈悲を実践して下さい。
慈悲を育み相互に理解しあえば、
求める幸福と心の静寂が必ず得られるでしょう。

無常・苦・無我の三相は智の到達点ではなく、
仏教が立脚する土壌です。
シッダールタ太子は四門出遊により、
過去世で看破した三相を思い出し、
善なるものを求めて出城する、として知られる、
出世間への渇仰心が生じました。
三相四十行相の随念は、
釈尊のこの行道を正確に踏襲する為に行います。

世界は私達をうんざりさせるに充分ですが、
その一員である限り心遣いを忘れず、
慈しみの心で接してあげましょう。
多少の不公平は、
大きな心で見逃してあげて下さい。
世界はとても嫉妬深く、
無視されると私達を潰しにかかります。
世界は執着に値しませんが、
できるだけ優しくしてあげましょう。

瞑想中、背中の形に注意を払うようにして下さい。
尾骨→背骨→脊髄→頭頂まで、
できるだけ真っ直ぐ、床から垂直になるよう、
姿勢を整えて下さい。
背中が決まれば顔や肩の位置も自然に定まります。
立禅、歩行禅、或いは椅子に座る瞑想の時も、
背中が常に同じ形になるよう、姿勢に留意しましょう。

皮膚の内側で起きている経験を、
私達は誰とも共有する事はできません。
宇宙空間にポツンと浮かぶ星のように、
私達は常に孤独であり、
皮膚を突き破る方法はありません。
貪って生まれ、苦を生き、死に臨んで暗し。
輪廻転生は永遠に続く孤独の旅路です。
ニッバーナの光が甘美・寂静なる救済です。

修行者にとって何が最も大切なのでしょう?
それがあれば成功し、
なければ失敗するような不可欠な要素とは何でしょうか?
修行者としての矜持です。
矜持ある者は自身の業果や煩悩を決して嘆きません。
耐えられぬ程の苦に遭遇していても、
まるで甘美な法悦の中にいるが如く、
軽やかに跳躍します。

凡夫は我見の根絶により預流に至ります。
三宝への甘美なサレンダーに、
心理的抵抗を持つ者もいますが、
修行者にとってそれは必須であり、
最善・最速かつ唯一の道であることを
知って下さい。
日々よく随念と観想に励み、
次第に三宝への従順さと自己放棄を
自らに確立していくよう精進して下さい。

現状を否定し、概念で構築した理想へ、
自身を強引に誘導せんとする方法は、
仏教では決して受け入れられるものではありません。
現状をあるがままに受け入れ、保持しつつ、
改善すべき点を自然に無理なく改善していく、
それが仏教のやり方です。
理想ではなく、常に実情に即して前進していくのです。

怒りの鉄拳で英雄的に敵を調伏しても、
人々はあなたから離れていくでしょう。
怒りで破壊はできますが、
建設することはできません。
怒りの爆発によって何かを為した人の地盤は、
いずれ必ず崩れ堕ちてしまうのです。
ブッダの法に例外はありません。
怒りのエネルギーを決して使ってはなりません。