「施すことにより我が身を興す。」
この高貴な理法が信じられなければ、
手放すことはできません。
保険が、プランBが、という前に、
先ず退路を断って命を賭けてみるのです。
捨て身の人間ほど強いものはありません。
お釈迦様の直弟子達は皆、退路を断ち、
命を賭けて八正道を歩み、大悟したのです。

あなたの意志によって、
お釈迦様を信じているのではありません。
お釈迦様が今もそこにおられるから、
心がお釈迦様の御心の中でとろけているのです。
波羅蜜がそうさせているのです。
太陽の如きお釈迦様の光を受けて、
月であるあなたが明るく輝くのです。
この関係を決して見誤ってはいけません。

学びの秘訣。
先ず「あなたには時間が十分にある」ことを受け入れること。
次に既得の知識に関する慢心を捨て去ること。
最後に未得の知識が流入することへの心理的抵抗を克服すること。
そうすれば乾いたスポンジが水を吸収するように、
新しいダンマがあなたの心に怒濤のごとく流れ込むでしょう。

塗りものの世界では、厚塗りはせず、
薄く塗り、乾かして再び薄く塗り、
幾層にも重ね塗って、
鏡のように美しく強い表面を作り上げます。
この反復と、積み重ねられた結果の関係を、
仏教では修習縁と呼びます。
修行者は日々修行を行う際に、
自ら修習縁を実践している事を深く認識してください。

現実は時々刻々変転していきます。
一つの状態に定住し続ける現実はありません。
しかし実際にその様に正しく認識する為には、
何度も繰り返し修習し、
一切は一期一会の瞬間の連続であり、
摑み取れるものは何もない事を、
心に徹底的に叩き込まなくてはなりません。
如実智見はそこから始まります。

仏教とは智慧を深め増大させる修行道です。
各修行階梯には相応する智慧の上限が存在します。
自らの智慧を越えた真理を看破しようともがけば、
対象を肯定または否定する見解への欲貪が生起してしまいます。
「不明な時はBlackboxに入れて手放せ」との指導は、
この事実を念頭においているのです。

対象を見るとは本来、
網膜に視覚対象が映り込み、
それを条件として眼識が生起し、
対象を知覚し、
一心刹那のうちに消滅する、ということです。
私達はその対象を正見を以て見ることができず、
渇愛と謬見によって、
対象を継続的に存在する実体である何か、
又は誰かであると誤認してしまうのです。

「今この瞬間」
名色の連続体はすさまじいスピードで、
時系列にそって前に進んでいきます。
そして今、この瞬間の名色が、
その最先端として生起しています。
今まさに、業が形成され業果が結実し、
十二縁起が回転し、
無常性、苦性、無我性が表象し、
四聖諦のすべてがそこに顕現しています。

トラブルの原因を相手や環境のせいにしてはいけません。
それでは問題は決して解決しないでしょう。
まず自分の身口意を変えてみてください。
思いやりをもって行動し、優しい言葉を語り、
心を慈悲で満たしましょう。
そうすれば変えようと思わなくても、
状況は音を立てて改善していくはずです。

空海は秘蔵宝鑰で、
「経を暗記し口にするだけなら、
オウムでもできる。
語るだけで実行しないなら、
猿と異ならない。」
と述べています。
然り、或る種の修行者は、
仏教を言葉で理解するだけで、
法を実践しません。
できるか否かではなく、
実践の努力を続ける菩提心が、
涅槃への道を作ります。

あなたは道を求める志を持っていますか?
あなたの心に菩提心は燃え上がっていますか?
求道の志とは何でしょうか?
求道の志とは、
聖なる教えを学び体得するためには、
いかなる自利も省みない、という意志です。
自分自身について如何なる犠牲を払ってでも、
聖なる教えを学ぼうとする情熱です。

瞑想の修習を終えるごとに、
必ずその一座をレビューすること。
改善すべき点は何か、
どうすれば改善できるのか、
よかった点は何か、
どうすれば、よりよくできるのか。
いわゆる四正勤法を使って、
真摯に自己分析していくのです。
この善き習慣を身につけ、
阿羅漢に至るまで続けてください。

お釈迦様のダンマは、
難解な形而上学ではありません。
私達の心、言葉や行動、
身の周りの一切の現象の中に、
ダンマは明確に見出されなくてはなりません。
無上で甚深、精妙かつ鋭利な、
お釈迦様の智慧の剣によって、
今この瞬間、この場所に生起消滅する現象を、
一刀両断にするのです。

父母の恩、一切衆生の恩、国の恩、
仏法僧の恩、説法師の恩。
日々随念し、感謝の思いを新たにすれば、
私達の心は大いに高められ、浄められていきます。
では、これらの大恩に報いるにはどうしたらよいのでしょうか?
一刻も早く自己完成すること。
それが、唯一最高の報恩です。

優れた才能、広範な知識、
積み重ねた福徳、篤い信仰心などは、
謙虚であることによってはじめて光り輝き、
人の心をとりこにします。
欲天界や梵天界から再生された方であっても、
才におぼれ、慢心に足をすくわれ、
人生を台無しにしてしまう危険があります。
厳重に注意しなければなりません。