今、この瞬間の名色とともにあるとき、

その現象に専注している一境性も、

その識別を為そうとする精進も、

それを識別している「私」も、

どこにも見つけることはできません。

そして出定した後は、

仏法僧への甘美な陶酔と、

藁クズのような過去や未来を厭う想いで、

心が満たされるのです。