人間やすべての事物が
時々単なる幻影か、
夢の中の出来事に見えてしまう、
或いは自分の今までの人生が、
壮大なドッキリカメラで、
今にも司会者がマイクを持って
出てくる気配を感じる、といった感覚は、
輪廻世界に不信を持ち、
ここで主人公を熱演したくない、
仏教的素質の現れに他なりません。