現象を観察しようとしている「私」や、
禅定の対象に専注しようとしている
「私」がいる限り、
観察も専注もできません。
「私」は修行を妨害する元凶です。
私達は清らかで美しい心を因として、
人間に生まれてきました。
今あの心を前面に打ち出して下さい。
あの心を離れて瞑想も随念もありません。