日々、無数の事象に遭遇する私達は、
その各々の経験に対して、
好意的に反応するか、
不快感をもって反応します。
そこには明らかに渇愛があり、
私達はその都度、それを認識している必要があります。
もし好き嫌いの反応が無いなら、
そこに渇愛はありません。
私達はその事象から自由でいるのです。