Dosaは怒り、嫉妬、悲しみ、不安、恐怖、
物惜しみ、悔恨などを生み出す、
非常に強い根本煩悩で、
それが向けられた相手と自分自身を
壊滅的に傷つけます。
Dosaが生起する時、背後には必ず
その生起因となる強力な貪りがあります。
貪りの対象が得られない現実を
受け入れられない感情がDosaです。

ほとんどのCittaが概念を所縁として生起します。
今この瞬間この場所で生起しているのに、
Cittaはここを向いていないのです。
私達は一生の相当な時間を、
このように過ごしています。
観行において私達は、
一刹那の生起生滅を詳しく識別しますが、
すぐに新たなCittaが概念を所縁として生起します。

激しい怒りの爆発を浴びそうになったら、
一言も語らず大急ぎでその場から
逃げ出して下さい。
既に心は相当傷ついているはずですが、
罵声の応酬をするよりずっとマシです。
若木には柵が必要です。
火事が周りの家々にあっという間に燃え広がるように、
一人の怒りの爆発で周りがみんな傷つきます。

客観的に自己分析する力は
私達を窮地から救ってくれます。
ストレスの大きい現代社会では
多くの方々が鬱的症状に悩まされていますが、
その状態を放置すれば心のしこりが
腫れ物のように敏感に拒絶反応を起こします。
早い段階で何が苦なのかを自身ではっきり知って、
病巣を取り除く事が大切です。

怒りで他人の言葉が聞けない人、
欲に心が奪われた人、記憶が混濁した人、
そんな方々は、
諦めて離れるのではなく、
心に直接語りかけると、
うまく想いが伝わるかも知れません。
会話で理解し合うのが困難な時、
視覚や触覚や香りや味や歌や自然音を
巧く使えば、
私達の善意が届くことがあります。

老いで希望の光が
消えるのではありません。
何歳であろうと、どんな環境にいようと、
最初から光などないのです。
ただ轉倒見によって、
永久に続く幸せが、快楽が、
なりたいものになれる人生が、
まるで現実かのように見えていただけです。
老いで幻惑が消えれば、
生の実相が明瞭に見えてきます。

人の心に仏性が発芽すること自体、大きな奇跡です。
彼はダンマに生きる善友と巡り会い、話を聞いてみようと思う。
善友は、彼が必要とするダンマを正に受容できる範囲で伝える。
彼は謙虚な心で善友の話を聞き、菩提心を生起させる。
機が熟せば彼の波羅蜜が、
これらの奇跡をすべて調えるでしょう。

かつてあなたに喜びを与えてくれた人や物が、
変化しつつ壊れていく様子を見た事がありますか?
一切の現象はみな同じ様に消滅していきます。
眼を背けられるだけ背けて暮らし、
臨終の時まで苦を見ないように生きるのも人生、
万物の流転・崩壊を勇敢に見つめ、
世の実相を見出していくのも人生です。

占術には「死盗姦は語らず」、即ち
人の死、盗み、姦通は占ってもいけないし、
占盤に表れても語ってはならないという
ルールがあります。
仏教徒の場合も、相手や第三者
死、盗み、姦通については、
疑念、噂、事実を問わず、
生涯、聖黙の誓願を立てて、
正語を護持し、不善から離れていましょう。

心に開敷蓮華を置き、その上に宝珠を置き、
その中に輝く仏陀ニミッタを観想して下さい。
それが三宝の象徴であり、信の依処であり、
あなたを涅槃証悟へ導いて下さるガイドです。
大丈夫!
あなたの誓願は必ず成就します。
さあ欲界での福徳だけでなく、
解脱に至る波羅蜜もすべて受け取って下さい!

心にざわつきが生じるたびに、
すぐに眼を閉じて今この瞬間の呼吸を
見つけて下さい。
そしてあなたを元気づけるダンマの一句を、
静かにゆっくりと唱えて下さい。
それだけであらゆる災難から逃れることが
できるでしょう。
天界と人間界に用意された無尽蔵の福徳を、
享受することができるでしょう。

どうやったら人助けができるか?
どうしたら他の方々を幸せにできるか?
そのアイデアをいつも考えるようにしましょう。
損得勘定は脇に置き、
人々の喜ぶ顔こそ、最高の報酬だと
知りましょう。
大丈夫です。そんなあなたを、
誰も飢え死にさせたりしません。
最後は仏様がちゃんと助けて下さいます。

効率よい修行を行うには、
何よりも先ず「条件を調える」事が大切です。
条件が欠けていれば何も達成できません。
心がダンマに向かっていないのに、
いきなり坐っても善い瞑想はできません。
がむしゃらにやらずとも、
必要条件を丁寧に調えていくだけで、
法験は自ずと向こうから飛び込んできます。

あなたは外界に「あなたの箱庭」「あなた帝国」を
作ろうとしているのですか?
それともあなたは心の中に、
愛と智慧の原子炉を作りたいのですか?
人は二つの方向に同時に進むことはできません。
前者を目指せば妥協により心に亀裂が生じるでしょう。
後者を目指せば外界は自然に整っていくはずです。

私達は脱獄者です。
今はまだ社会の歯車の中で
目立たずに生きていますが、
いよいよその時が来れば、
サンサーラという牢獄から、
一切の痕跡を残さず、
一瞬のうちに脱出するでしょう。
私達はこの娑婆世界に
あとほんの少しだけ滞在する客人であり、
異邦人であり、例外者であり、
逃亡者なのです。