釈尊は19才の我が子Rāhulaを
比丘ではなく沙弥として出家させ、
13年間その身分のまま、
徹底した下座行をさせました。
彼はその後Sariputtaの見習い比丘となり、
10年間の修行と奉公を経て42才で独立し、
7年後に阿羅漢を証悟したのです。
最愛の息子の涅槃への最短路を、
卓越した師はご存じでした。

これから何処に流転していくのか?
どれ程の不毛な生存を生きていくのか?
太古より幾万の苦しみの輪廻を
生まれ死に生まれ死んだ末に、
今また束の間の生存の中で、
一切の無常性と苦性を思い知らされる時、
世を厭う想いが心奥から堰を切って溢れ出し、
涅槃を希求する涙が止めどなく流れるのです。

法を求めて止まない人は、
その場でスポンジのように、
すべてを吸収します。
知識のカタログを貪る人は、
欲しいものを手に入れると、
本箱に入れて安心し、
決して学ぼうとしません。
究極の真理を悟るのは前者です。
後者の得るものはとても少なく、
なんだかんだと思索しながら、
流転し続けます。

袖振り合うも多生の縁といいますが、
仏伝やジャータカの例を挙げる迄もなく、
私達は身の周りの多くの方々と、
輪廻を超えた強い縁で結ばています。
今生で相手に害意を持てば、
必ず未来世で相応した報いを受けるのです。
友人も同僚も師も弟子も、
みな大切な家族である事を、
忘れてはなりません。

心に生起する善心だけを修行の拠り所として下さい。
どのような理由であれ、もし不善心が生じたなら、
何かが決定的に間違っているのです。
身口意の一切の行為を一旦止めて、
すべてをリセットしましょう。
せっかく得難い仏縁に恵まれたのです。
この生存を決して無駄にせぬよう共に励みましょう。

我が身に降りかかる一切の事柄は、
例外なく自らの過去の業を因としています。
誰かが私達に理不尽な行為を為した時、
原因は相手にあるわけではなく、
私達の不善業がその人を通して、
結果を結んだに過ぎません。
如何に不本意な現象に遭遇しようと、
謹んでお受けするのが最善の仏教的処世術です。

精神的成長が滞っていると感じる時は、
以下の四点を確認して下さい。
必ず解決法が見つかります。
菩提心は燃え上がっていますか?
禅定修行の実践で日々心を調教していますか?
毎日必ずやると決めた善行で
人々を幸せにしていますか?
学んだダンマを身の周りの現象の中で
随念・識別していますか?

自分は劣っている、見放されていると
弱気になった時は、
自分がどんなに仏縁に恵まれているか、
どれ程の祝福を頂いているか、
思い出して下さい。
そして苦しむ人達を決して傷つけないと
決意しましょう。
あなたにはお釈迦様がついています。
あなたは無敵です。
決して自分に負けてはなりません。

私がマラソンから学んだ事:
呼吸だけに専注して前に進んでいく事。
外部の刺激は心を惑わせるので一切遮断してしまう事。
思考はさらに心を惑わせるので完全に止めてしまう事。
もうダメだという限界に至ると手放しの力が湧き上がってくる事。
いつまでも走り続けたいという至福感が最後に訪れる事。

私達は仏教を誤解しないようにしましょう。
論蔵はダンマを思想と誤認させ、
律蔵は修行を戒律道と誤認させますが、
根本仏教の原風景は瑞々しい経蔵にこそあるのです。
心に燃え上がる信が、慈悲の光が、
深奥から湧き出る誠実さや謙虚さがなかったら、
私達が修行しているものは仏教ではありません。

思考によって頭に構築した仏教が、
あなたを救うことはありません。
お釈迦様のお説きになる真理は、
愛そのもの、慈悲そのもの、光そのものです。
清らかな慈悲の光こそが依るべき救いです。
慧根のバランスは信根でとるのです。
学んだダンマを菩提心に昇華させ、
清浄な光を燃え上がらせて下さい。

文字で読んだり、耳で聞いただけの知識は、
いくら重要だと思い、赤線を引っぱっても、
そのうち忘れてしまうものです。
苦労して苦労して暗記し、
それを実際の現象の中でひとつひとつ確認し、
随念し、体験し、実感していけば、
その智慧は未来世に亘り
あなたから離れることは決してないでしょう。

善行を為す度に
「この功徳が涅槃証悟の一助となりますように」と
心から祈れば、その祈りは心底に沈殿し、
波羅蜜を形成していきます。
最低でも一時間に一度は心からの善行を為し、
涅槃への誓願を積み重ねて下さい。
そうすれば私達の心の連続体の舵をきって、
涅槃へ向けることができるでしょう。

すべて出し尽くさないと人間は成長しません。
もうこれ以上は鼻血も出ない、
という処まで自分を追い込むと、
三宝が動き出します。
そこから先は天が、仏が、助けてくれるのです。
「安心・安全」とは羊の群れの中で生きる信条です。
群れはそのまま四悪趣に堕ちていくことを、
忘れてはなりません。