仏教修行について、
知っておくべき二つの真理があります。
1)今この瞬間は常にここにあり、
アクセスできなくなる事は絶対にありません。
私達の不善心だけがそれを見失うのです。
2)お釈迦様が説かれたダンマは、
すべて実際に経験し実証することができます。
そこに如何なる例外もありません。
仏教修行について、
知っておくべき二つの真理があります。
1)今この瞬間は常にここにあり、
アクセスできなくなる事は絶対にありません。
私達の不善心だけがそれを見失うのです。
2)お釈迦様が説かれたダンマは、
すべて実際に経験し実証することができます。
そこに如何なる例外もありません。
TVから感受するのは、
時々刻々変化する様々な色彩と、
耳から聞こえる音声だけです。
それを識別すれば、
色彩と音の生滅が延々と続く、
退屈な時間に過ぎない事が分かります。
色彩と音声から意味を絡め取り、
アタマで物語を構築することに、
何の意味があるでしょう?
そこに気づきはありません。
サイズの限界を克服して名色を識別し、
速度の限界を克服して生起消滅を観れば、
あなたは三相を看破するでしょう。
そして煩悩が根絶されます。
身口意による業の形成は止まり、
苦の原因は完全に消滅します。
それが「滅諦」です。
あなたは般涅槃を待たずに寂滅を得て、
涅槃の甘露を味わうのです。
信がなくても気づきだけで悟りの光が得られると、
思っていませんか?
悟りはそのようには訪れません。
私達は無明の暗闇を茜色に染めるまで、
涅槃を求めて泣いて泣いて、
叫んで叫び続けなくてはなりません。
そうやって初めて、涅槃というまばゆい太陽が昇り、
私達を明るく照らしてくれるのです。
その肉体の連続体はあなたではありません。
その心の連続体もあなたではありません。
無機質な部品の集りに過ぎないその存在は、
瞬間で輪切りにすれば名色の集合体であり、
時間軸に沿って見れば、
多くの現象を巻き込んで進む期限付きプロジェクトです。
どこにも「あなた」という実体はありません。
一度でもあなたに害意を持った人を、
赦すことはできませんか?
ならば、その方の弱さ、愚かさ、稚拙さ、
そしてこれから先、背負わなければならない、
荷の重さ、行程の遠さを、
想像してあげて下さい。
その方もまた、私達と同様、
無明の犠牲者なのです。
困った時には手を差し伸べてあげましょう。