私の敬愛する或る老師は仰っておられます。
「仏教学の基礎がないということは、
秤や升なしで商いをするようなもんじゃ。
禅だけやっておればよい、ということにはならん。
禅だけではあぶない。
阿毘達磨や唯識をやらん人は、
正しい道を知らんから、
すぐに外道に堕ちてしまう。」
正に至言です。

「在家のまま涅槃を悟れるでしょうか?」
「できます。その為には、
常に高徳な師と弟子の集いに交わり、
絶えず随念し瞑想し、
涅槃を求めて三宝に泣きつくこと。
そうすれば心を汚す泥が洗い流され、
涅槃を見るでしょう。
心は泥中の針、三宝は磁石。
泥を落として磁石に吸い上げてもらいなさい。」

その肉体の連続体はあなたではありません。
その心の連続体もあなたではありません。
無機質な部品の集りに過ぎないその存在は、
瞬間で輪切りにすれば名色の集合体であり、
時間軸に沿って見れば、

多くの現象を巻き込んで進む期限付きプロジェクトです。
どこにも「あなた」という実体はありません。

アタマで理解しただけの仏教では、
心を守り切れません。
うろ覚えのダンマでは、役に立ないのです。
吹き出す煩悩と不善業果は、
津波の様に容赦なく襲いかかってきます。
ですからアタマではなく、
心にダンマを叩き込むのです。
無常性と苦と無我性を、心のヒダに浸みこませ、
踏ん張るのです。

不善心所には十分な注意が必要です。
生起した瞬間に、
素早く手を打たねばなりません。
貪りであれ、慢心であれ、
自我肥大であれ、
怒りであれ、悲しみであれ、
不安であれ、嫉妬であれ、
物惜しみであれ、悔恨であれ、
放っておけば、瞬く間に、
制御不能な感情の大爆発に、
発展してしまいます。

日々、無数の事象に遭遇する私達は、
その各々の経験に対して、
好意的に反応するか、
不快感をもって反応します。
そこには明らかに渇愛があり、
私達はその都度、それを認識している必要があります。
もし好き嫌いの反応が無いなら、
そこに渇愛はありません。
私達はその事象から自由でいるのです。

一度でもあなたに害意を持った人を、
赦すことはできませんか?
ならば、その方の弱さ、愚かさ、稚拙さ、
そしてこれから先、背負わなければならない、
荷の重さ、行程の遠さを、
想像してあげて下さい。
その方もまた、私達と同様、
無明の犠牲者なのです。
困った時には手を差し伸べてあげましょう。

お釈迦様の在世当時、
多くの偉大な在家弟子の方々が、
預流果や、それ以上の境界に、
達せられました。
卓越した定力や知識がなくても、
無常・苦・無我の三相を、
本当に実感し、世を厭い、
息もできぬ程に三宝に救いを求め、
善行の中で自己を失えば、
現代人のあなたにも、
それは大いに可能です。

技術は貪るに価しません。
技術は素晴らしい速度で進歩しますが、
将来、必ず陳腐化します。
将来、陳腐化するものには、
執着や散財をせずに、
抑制的で受動的な態度を保ちましょう。
そうすれば本当に価値あるもの、
陳腐化せず、永く輝きを失わない、
魂の成長、感動、喜びの大切さが見えてきます。

相手の反応に過敏となる余り、
思いをはっきり伝えられない大人達を、
子供の頃からたくさん見てきました。
気持ちはよく分かります。
でもそれは奥ゆかしさではなく、
有害な悪癖です。
相手の気持ちを聞き、
自分の気持ちも伝えた上で、
慈愛を以て折り合いをつけていく。
これが正しい会話法です。

致命率は低下していますが、
コロナの第二波が欧米で猛威を振るっています。
山積する国際問題。世界経済崩壊の予感。
未来への不確実感が、
私達の全体感情を重くしています。
所詮、世界はこんなものです。
私達はこの絶好の機会に無常・苦・無我を念じ、
渇愛からの厭離を徹底的に随念するのです!

渇愛の対象が得られなければ、
怒りや嫉妬が生じます。
我見が強い人は、自尊心が毀損されたと感じ、
さらにDosaを生起させます。
そして論理のすり替えをしてしまう。
懲罰の為の怒り等、身勝手な言い訳を掴んで、
心から信じてしまいます。
Dosaが生起したら、
その因を正確に分析する事が必要です。

娑婆世界は時に迷路のようにこんがらがって、
無事に抜け出せる方法は無いように見えます。
「もうダメだ、私は詰んだ!」
心はダメな理由をまくし立てます。
しかしいくら将来を悲観視したところで、
まだ何も起こっていません。
大抵の偉大な成功は、
概ねそこら辺りから始まる事を、
学んで下さい。

戒律は、それが成立した時代と地域の、
文化や生活様式の香りがします。
仏教も基督教も回教も、
「異国、異人、異教」の微かな異臭がするのです。
釈尊の御遺言にある通り、ブッダ・ダンマの真髄は、
各時代や文化の中で最適化していく必要があります。
仏教を「伝統文化保存会」にしてはなりません。

修行でも、世俗の人生でも、
あなたが本当に成功を願うなら、
いつも明るく元気いっぱいでいることから、
始めましょう。
肩をすぼめて、眼をしょぼつかせながら、
成功した人はいません。
復讐心で成功した人もいません。
胸を張って、自信を持って、
慈悲の心で計画を立案し、
行動していきましょう。