戒律は、それが成立した時代と地域の、
文化や生活様式の香りがします。
仏教も基督教も回教も、
「異国、異人、異教」の微かな異臭がするのです。
釈尊の御遺言にある通り、ブッダ・ダンマの真髄は、
各時代や文化の中で最適化していく必要があります。
仏教を「伝統文化保存会」にしてはなりません。
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修行でも、世俗の人生でも、
あなたが本当に成功を願うなら、
いつも明るく元気いっぱいでいることから、
始めましょう。
肩をすぼめて、眼をしょぼつかせながら、
成功した人はいません。
復讐心で成功した人もいません。
胸を張って、自信を持って、
慈悲の心で計画を立案し、
行動していきましょう。
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ひとは誰でも、自分を無条件に愛してくれる誰かを、
必要としています。
傷ついた心を癒やしてくれるのは、
どんな時も変わらず、あなたを包んでくれる、
無償の愛による承認です。
家族の、魂の師の、最愛のペットの、
無償の愛と承認によって、あなたは嫌な事を忘れ、
明日を生きる力を得るのです。
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容器を何かで満たしたいなら、
まずその容器の中身をカラにする必要があります。
心を神聖な喜びで満たしたいなら、
禅定で心をカラにしなくてはなりません。
心が安止すると意識は欲界を離れ、
周りの空気は高密高圧かつ微細となり、
禅定の圧倒的な力強さの中で、
心は静寂な絶対受動を得るのです。
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道を究める人は、
一つの事をずっと、
黙々とやり続けます。
好むと好まざるとに関わらず、
一日も欠かさず、
どんなに逆風が吹こうと、
やるべきことを、
やり続けるのです。
そこに必要なのは、
身を捨てた覚悟です。
今上陛下も伝説のスターも、
孤高の道を歩む人には、
鬼気迫る覚悟があるのです。
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五根のバランスは、
a) 信根と慧根のバランスを調え、
b) 精進根と定根のバランスを調え、
a)とb)の強度を調えて、
全体を念根でつり上げていく、
という方法で調えます。
例えば赤味が強い映像を、
捕色である緑を強めることで調和させるように、
各根は対峙する根を強める事で調和させていくのです。
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無常を随念し、無常の故に生ずる苦を随念し、
苦の故に了知する無我を随念し、
煩悩の遮断を随念し、離貪を随念す。
一切の現象は不快なる事を随念し、
貪る喜びを随念し、体内の虫を随念し、
危険を随念し、名色の滅尽を随念し、行苦を随念す。
これらの至宝が経蔵にあるのに、
なぜ実践されていないのでしょうか?
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私の心に深く脈打つこの感謝の想い、
それだけが唯一の真実です。
誰が何と言おうと、
今、ここで燃えているのです。
「この恩にどう報いることができるでしょうか?」
そう自問すると、
感謝に震える心は私に答えてくれます。
「一刻も早く自己完成しなさい。
それが御恩に報いる唯一の道なのです。」