戒律は、それが成立した時代と地域の、
文化や生活様式の香りがします。
仏教も基督教も回教も、
「異国、異人、異教」の微かな異臭がするのです。
釈尊の御遺言にある通り、ブッダ・ダンマの真髄は、
各時代や文化の中で最適化していく必要があります。
仏教を「伝統文化保存会」にしてはなりません。

修行でも、世俗の人生でも、
あなたが本当に成功を願うなら、
いつも明るく元気いっぱいでいることから、
始めましょう。
肩をすぼめて、眼をしょぼつかせながら、
成功した人はいません。
復讐心で成功した人もいません。
胸を張って、自信を持って、
慈悲の心で計画を立案し、
行動していきましょう。

ひとは誰でも、自分を無条件に愛してくれる誰かを、
必要としています。
傷ついた心を癒やしてくれるのは、
どんな時も変わらず、あなたを包んでくれる、
無償の愛による承認です。
家族の、魂の師の、最愛のペットの、
無償の愛と承認によって、あなたは嫌な事を忘れ、
明日を生きる力を得るのです。

「百年間、不善行を為した人も、
三宝に帰依する心を起こし、
臨終時にひとたび仏を念ずれば、
天界に再生する」と、
BC1世紀の那先比丘経に説かれています。
仏を念ずるとは仏随念です。
後の浄土系仏教の源流もここにあります。
やはりそうなんだ!
古代仏教の本物の信仰心に触れ、
感動しています。

NY郊外の家々の窓には、
泥棒よけの鉄のバーが付けられています。
日本は安全でいいなあと思ったものです。
しかし今の日本には、
嘔吐無しには立案できぬような不善を、
平気でやる人達もいるようです。
警察への通報が唯一の選択となる前に、
釈尊ならどうされるか、考えてみようではありませんか。

仏縁というのは不思議です。
様々な表象の仕方をします。
鳴り物入りで近づいてきても、
仏縁がなければ、紐はプツンと切れて、
三宝の御許に居続ける事はできません。
縁がなさそうに見えて、
ヨーヨーのような軌道をとる、
仏徳ある人もいます。
私達の仏縁を思う時、
深い感謝の念を禁じ得ません。

容器を何かで満たしたいなら、
まずその容器の中身をカラにする必要があります。
心を神聖な喜びで満たしたいなら、
禅定で心をカラにしなくてはなりません。
心が安止すると意識は欲界を離れ、
周りの空気は高密高圧かつ微細となり、
禅定の圧倒的な力強さの中で、
心は静寂な絶対受動を得るのです。

道を究める人は、

一つの事をずっと、
黙々とやり続けます。
好むと好まざるとに関わらず、
一日も欠かさず、
どんなに逆風が吹こうと、
やるべきことを、
やり続けるのです。
そこに必要なのは、
身を捨てた覚悟です。
今上陛下も伝説のスターも、
孤高の道を歩む人には、
鬼気迫る覚悟があるのです。

五根のバランスは、
a) 信根と慧根のバランスを調え、
b) 精進根と定根のバランスを調え、
a)とb)の強度を調えて、
全体を念根でつり上げていく、
という方法で調えます。
例えば赤味が強い映像を、
捕色である緑を強めることで調和させるように、
各根は対峙する根を強める事で調和させていくのです。

信は、すべてを支える根本です。
菩提樹を繰り出す種子であり、
解脱に至る主因です。
慈悲は、滋養あふれる土壌です。
一切の生命を決して傷つけまいとする決意です。
その上で、学びの慈雨を得て、
涅槃である太陽を目指して、
止観行の年輪を重ねていく。
仏教修行は、そのようにできているのです。

眼前に生起する現象を、心が対象として捉える瞬間を
観察してみましょう。
対象を受け入れたいか、受け入れたくないか、
心が瞬時に判断している事に気づくでしょう。
一切の誤った見解や貪瞋痴の不善が、
その瞬間に生じます。
この心の働きが「渇愛が新たな転生を生む」と
釈尊が説かれた意味です。

あなたは祝福された釈尊の直弟子ですか?
正思惟に照らし合わせて身調べして下さい。
周りの人達とどんな関係を結んでいますか?
布施と慈悲を実践していますか?
仏法を広めていますか?
学びや戒律護持、瞑想だけに終始する修行なら、
あなたは手足のない小乗者です。
その修行に未来はありません。

心を調教しなくてはなりません。
禅定に入りかけた心が、
その専注の対象である所縁から、
一瞬でも外れれば、
心は静寂な至福である梵天界から、
貪瞋痴が逆巻く欲界へと、
堕ちてしまいます。
六十頌如理論で龍樹はこれを、
「動揺している心は、
悪魔(マーラ)の領域に属する」
と表現されました。

無常を随念し、無常の故に生ずる苦を随念し、
苦の故に了知する無我を随念し、
煩悩の遮断を随念し、離貪を随念す。
一切の現象は不快なる事を随念し、
貪る喜びを随念し、体内の虫を随念し、
危険を随念し、名色の滅尽を随念し、行苦を随念す。
これらの至宝が経蔵にあるのに、
なぜ実践されていないのでしょうか?

私の心に深く脈打つこの感謝の想い、
それだけが唯一の真実です。
誰が何と言おうと、
今、ここで燃えているのです。
「この恩にどう報いることができるでしょうか?」
そう自問すると、
感謝に震える心は私に答えてくれます。
「一刻も早く自己完成しなさい。
それが御恩に報いる唯一の道なのです。」