入出息をメディテーション・アンカーとするのは、
とてもよいアイデアです。
日常の一切の活動において、
心の何割かを呼吸に向け続けていくのです。
ただし入息/出息の認識ではアンカーになりません。
そうではなく、息が鼻の穴に触れる感覚だけを、
入息出息と区別せずに感受し続けるようにします。

私がミャンマーで最も違和感を感じたのは、
清浄道に基づく十六観智の修行だけを行い、
四念処を中心とした菩提分法には、
一切触れることがなかった点でした。
すべての仏教修行は菩提分法に集約されています。
私は40年間、菩提分法の完成だけを目指してきたのです。
とても大きな肩すかしでした。

最初期の仏教は他律ではなく自律であったことは明らかです。
僧伽の後継者が律を統治に用いつつ加筆した為か、
律の放つ香りは経蔵・論蔵の高貴なそれとは明らかに異なります。
五戒の領域内で謹んでいればよいというものではありません。
ダンマに沿って自らを律していかなければ仏教は成立しません。

ひとが生きていく上で、
絶対にしてはならないこと、
それは怒りを爆発させ、
その刺激を貪ることです。
他人に対しても、
自分自身に対しても、
決して破壊工作を行ってはなりません。
怒りや嫉妬から、
いかなる幸福も生じることはなく、
必ず悲劇的結末がやってきます。
怒りの抑制は至上命令です。

今吸いつつあるその息は、
一瞬のうちに消滅してしまう、
かけがえのない息です。
今吐きつつあるその息には、
私達が希求する静寂と至福があります。
入出息の一瞬一瞬が、
キラキラ輝く奇跡の連続です。
目を閉じて息を吸うだけで、
至高なる真理と一体となれる、
それがアナパナ瞑想のすごさです。

ケースに入れておかなければ、
楽器は傷つき、
薬瓶にいれておかなければ、
錠剤は散逸してしまいます。
形から入ることを嫌う人がいますが、
様式は「中身を運ぶ容れもの」です。
四十種類のサマタ瞑想、
七清浄の修行階梯。
七科三十七道品。
これらの優れた様式の中で、
正見が育っていくのです。

勇気を出して自らの人間関係を
すべて正常化しましょう。
他人が自分に対して何をしたかではなく、
自分が他人に対して何をしたか、
それだけを問うのです。
赦し、感謝、慈悲、謝罪、懺悔。
二度と顔を合わせられない関係を、
正常に戻す事は無上の善行であり、
深い至福を双方にもたらしてくれます。

計画を立てる時、進路に迷った時、
次の方法を実践して下さい。
「お釈迦様ならどうされるだろう?
お釈迦様にお訊きしたら何とお答えになるだろう?」
そう深く随念した後、その思考を離れ、
一心に安般念を行います。
心が充分満足したら専注から出て下さい。
お釈迦様のお答えは目の前にあります。

仏教を学ぶ人達が、
仏教徒に見えないのは何故でしょう?
最近の人達には何が欠けているのでしょう?
当り前過ぎてウッカリしていました、
下座行(げざぎょう)の決定的不足です。
プライドを叩き壊しながら行う下座の精進。
皆それを徹底的にやったからこそ、
ピッカピカの仏教者になれたのでした!

道端の花に集まる蝶を追いかけず、
まっすぐに道を歩いて下さい。
いつまでも尾を引く思考に用心して下さい。
あなたを説得しつつ絶望に突き落とします。
すべて心の暗闇から生ずる幻想です。
あなたを幻惑し、傷つけ打ちのめすマーヤです。
敵は外にはいません。
あなたの心の暗闇に潜んでいます。

ローカ・ダンマですから、
善い事も悪い事も起こります。
しかし悪い事が起こっても、
それに対して不善な反応をしない限り、
壊滅的な事態を招くことはありません。
いつも感謝を忘れない明るい心があれば大丈夫です。
人生は期待通りには行かないけれど、
最悪の結果に陥ることも滅多にありません!

成功への道程は、ピンチの連続です。
艱難辛苦が大きければ大きいほど、
「成功は近い!」と思えばいいのです。
誇大妄想と呆れられる程の大目標を持ちなさい。
心の底からできる、と思えば、
どんな困難があろうと必ず成功します。
緩い上り坂も、ダメだと思った瞬間に、
超えがたい障害となります。

否定し、批判し、悲観的な事ばかり言っている、
負け癖を持った可哀想な人がいます。
自分ばかりか、周りの人のやる気も萎えさせて、
不善業をまき散らしています。
できない理由は聞きたくありません。
実現する方法を一緒に考えましょう。
固い決意さえあれば、
どんな事でも必ず成功できるのです!

「信仰なき父母に信ずる心をおこさしめ、
信仰にはいらしめ、信仰に安住せしめることこそ、
父母に仕え、その恩に報いることである。」
と、お釈迦様は説かれます。
また、人の信仰を破壊しようと試みるだけで、
地獄に堕ちるとも説かれます。
お釈迦様の御心に、信ある仏教者は心を震わせるでしょう。

保身に走れば大義から乖離します。
事なかれ主義に走った瞬間に、
大志を捨てることになります。
それは道徳的行為でも、
和を重んじる行為でもなく、
自らの矜持や尊厳に対する裏切り行為です。
私達は常に勇気をもって、
善なる判断をしなくてはなりません。
決して逃げ腰になってはいけません。