入出息をメディテーション・アンカーとするのは、
とてもよいアイデアです。
日常の一切の活動において、
心の何割かを呼吸に向け続けていくのです。
ただし入息/出息の認識ではアンカーになりません。
そうではなく、息が鼻の穴に触れる感覚だけを、
入息出息と区別せずに感受し続けるようにします。
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最初期の仏教は他律ではなく自律であったことは明らかです。
僧伽の後継者が律を統治に用いつつ加筆した為か、
律の放つ香りは経蔵・論蔵の高貴なそれとは明らかに異なります。
五戒の領域内で謹んでいればよいというものではありません。
ダンマに沿って自らを律していかなければ仏教は成立しません。
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今吸いつつあるその息は、
一瞬のうちに消滅してしまう、
かけがえのない息です。
今吐きつつあるその息には、
私達が希求する静寂と至福があります。
入出息の一瞬一瞬が、
キラキラ輝く奇跡の連続です。
目を閉じて息を吸うだけで、
至高なる真理と一体となれる、
それがアナパナ瞑想のすごさです。
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ケースに入れておかなければ、
楽器は傷つき、
薬瓶にいれておかなければ、
錠剤は散逸してしまいます。
形から入ることを嫌う人がいますが、
様式は「中身を運ぶ容れもの」です。
四十種類のサマタ瞑想、
七清浄の修行階梯。
七科三十七道品。
これらの優れた様式の中で、
正見が育っていくのです。
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勇気を出して自らの人間関係を
すべて正常化しましょう。
他人が自分に対して何をしたかではなく、
自分が他人に対して何をしたか、
それだけを問うのです。
赦し、感謝、慈悲、謝罪、懺悔。
二度と顔を合わせられない関係を、
正常に戻す事は無上の善行であり、
深い至福を双方にもたらしてくれます。
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計画を立てる時、進路に迷った時、
次の方法を実践して下さい。
「お釈迦様ならどうされるだろう?
お釈迦様にお訊きしたら何とお答えになるだろう?」
そう深く随念した後、その思考を離れ、
一心に安般念を行います。
心が充分満足したら専注から出て下さい。
お釈迦様のお答えは目の前にあります。
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道端の花に集まる蝶を追いかけず、
まっすぐに道を歩いて下さい。
いつまでも尾を引く思考に用心して下さい。
あなたを説得しつつ絶望に突き落とします。
すべて心の暗闇から生ずる幻想です。
あなたを幻惑し、傷つけ打ちのめすマーヤです。
敵は外にはいません。
あなたの心の暗闇に潜んでいます。
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ローカ・ダンマですから、
善い事も悪い事も起こります。
しかし悪い事が起こっても、
それに対して不善な反応をしない限り、
壊滅的な事態を招くことはありません。
いつも感謝を忘れない明るい心があれば大丈夫です。
人生は期待通りには行かないけれど、
最悪の結果に陥ることも滅多にありません!
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成功への道程は、ピンチの連続です。
艱難辛苦が大きければ大きいほど、
「成功は近い!」と思えばいいのです。
誇大妄想と呆れられる程の大目標を持ちなさい。
心の底からできる、と思えば、
どんな困難があろうと必ず成功します。
緩い上り坂も、ダメだと思った瞬間に、
超えがたい障害となります。
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否定し、批判し、悲観的な事ばかり言っている、
負け癖を持った可哀想な人がいます。
自分ばかりか、周りの人のやる気も萎えさせて、
不善業をまき散らしています。
できない理由は聞きたくありません。
実現する方法を一緒に考えましょう。
固い決意さえあれば、
どんな事でも必ず成功できるのです!
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「信仰なき父母に信ずる心をおこさしめ、
信仰にはいらしめ、信仰に安住せしめることこそ、
父母に仕え、その恩に報いることである。」
と、お釈迦様は説かれます。
また、人の信仰を破壊しようと試みるだけで、
地獄に堕ちるとも説かれます。
お釈迦様の御心に、信ある仏教者は心を震わせるでしょう。