後ろの二輪が善行、前の二輪がダンマの学び。
これら前後の四つの車輪を、
バランスよく回転させていけば、
クルマは前に進みます。
前に進んで私達を法の器へと導いてくれます。
どの車輪が止まってもクルマは前に進みません。
安定して前進して初めて、
そのシャシーの上に瞑想が構築されるのです。

南アフリカのダーバンに、
ガンジーが創設したアシュラムがあります。
30年程前に訪れた時、
マハトマの孫に当たるお婆さんにお会いしました。
彼女は生涯彼の教えを忠実に守り、
清貧・断食・瞑想の日々を送っていました。
ああ、マハトマは真に魂の師だったのだと、
深く感動した事を憶えています。

お釈迦様のサンガでも現代の修行僧院でも、
初心の修行者が師の許可なしに、
独りで修行することは許されていません。
常に善友と共に学び、善友と共に読経し、
善友と共に瞑想し、
師から定期的に指導を受けなくてはなりません。
この教育法の有効性は歴史が証明しており、
変更する事はできません。

今生の修行目標は何ですか?
禅定を得る在家修行者?
小須陀洹に至る在家修行者?
預流果を証悟する在家修行者?
傳修院僧院の出家比丘?
傳修院法脈を相承する次期僧院長?
どんな夢でも実現可能です。
明確な目標を持ち、
瑞々しくセルフ・イメージを観想し、
目標実現に向かって突き進んで下さい!

高貴な精神の血統に生まれた者は、
時に一切の妥協を排するが故に、
あえて厳しい道を選択します。
決して愚痴を口にすることはありません。
選び取った苦難は彼にとって、
Khantiであり、矜持であり、尊厳ある喜びです。
故に彼は、艱難辛苦に遭遇しながら、
歓喜に震える人のように振る舞うのです。

当り前のことに感謝する心を持つ人になりましょう。
例えば蛇口をひねればいつでも安全な水がでてきます。
その実現のために、
いったいどれだけの人達の善意が、情熱が、
努力があったのでしょう?
その方々の笑い顔を想像してみてください。
それだけで善なる思いで心を充たすことができるのです。

いくら努力しても、なかなか成功に至りませんか?
目標を貪ってはいませんか?
先ず小さな目標を立て、小さな結果を出して下さい。
その積み重ねの先に成功があります。
大きすぎる目標に向かって、
結果の出ない努力をいくら続けても、
その先に成功はありません。
走ろうとせず歩いて行きましょう。

あなた自身が信じていなければ、
誰があなたを信じるでしょう?
あなたが強く自分の未来を信じれば、
周りの人達もあなたの未来を信じます。
可能性があるから、信じられるのではありません。
強く信じるから、可能性がでてくるのです。
「私はできる!」
まず強くそう信じるところから始めましょう!

仏教修行は徳で前進するものです。
瞑想だけをいくらやり続けても、
何も達成することはできません。
それでは順番が違うのです。
身施財施、法施を徹底的に行い、
力の限りダンマを学び、随念し、
少しずつ法の器を作り上げていく。
その土台ができて初めて、
徳が満ち、禅定が自ずと訪れるのです。

どんな仕事であれ、
善なる誠で行うことができるなら、
あなたの真心に心から感謝してくれる人が
一人でもいるのなら、
あなたの仕事はとても価値ある最高の仕事です。
仕事に貴賤はありません。
日々、和顔施・和語施を旨とし、
正思惟の心で身口意の三業清浄を、
仕事中に実践していけばいいのです。

未熟な心に善が入れば不善が出て、
不善が入れば不善が出ます。
悟った心に善が入れば善が出て、
不善が入っても善が出ます。
修行の心に善が入れば善が出て、
不善が入れば不善が出ます。
故に僧院では互いに善を捧げ、
不善を投げつけてはいけません。
不善を受け止めるほど心は熟していないのです。

今まで順調に修行してきたのに、
不測の事態で突然、
修行継続が困難になる事があります。
その時は菩提心と過去の自分の努力に語りかけて下さい。
一時的なペースダウンも止むなし、と言っていますか?
それとも、辛いだろうがペースを落とすな!
と鼓舞してくれていますか?
自らの心に従って下さい!

煩悩が心を汚染し、
現象を如法に観る眼が覆われると、
心の視野は極度に狭まり、
視力も衰えて一切が近視眼的になってしまいます。
正しきを正しきと知ることも、
誤りを誤りと知ることもできません。
素直さ、謙虚さ、誠実さで突破して下さい。
心にそれらが生起しているなら正に天の祝福です。

私は何度も見てきました。
弟子の菩提心が師の大慈悲と
感応道交するような場において、
いつも知識で他を圧倒する弟子が
師より一切顧みられず、
謙虚に菩提心を育んできた目立たぬ人が、
師より感極まる祝福を受ける様子を。
故に私は「無常件の信」を軽視する人の言葉を、
一切信用しないのです。

今生の誕生から臨終までを、
完璧な人生にしよう、という発想は余りに素朴です。
一瞬一瞬生起消滅する心の連続体は、
臨終後も別の境涯で流れ続けます。
本当に大切なのは、
今この瞬間に生起する対象への心の反応です。
輪廻転生はその総和であり、
私達は正にそこから脱出しようとしているのです。