後ろの二輪が善行、前の二輪がダンマの学び。
これら前後の四つの車輪を、
バランスよく回転させていけば、
クルマは前に進みます。
前に進んで私達を法の器へと導いてくれます。
どの車輪が止まってもクルマは前に進みません。
安定して前進して初めて、
そのシャシーの上に瞑想が構築されるのです。
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お釈迦様のサンガでも現代の修行僧院でも、
初心の修行者が師の許可なしに、
独りで修行することは許されていません。
常に善友と共に学び、善友と共に読経し、
善友と共に瞑想し、
師から定期的に指導を受けなくてはなりません。
この教育法の有効性は歴史が証明しており、
変更する事はできません。
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今生の修行目標は何ですか?
禅定を得る在家修行者?
小須陀洹に至る在家修行者?
預流果を証悟する在家修行者?
傳修院僧院の出家比丘?
傳修院法脈を相承する次期僧院長?
どんな夢でも実現可能です。
明確な目標を持ち、
瑞々しくセルフ・イメージを観想し、
目標実現に向かって突き進んで下さい!
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当り前のことに感謝する心を持つ人になりましょう。
例えば蛇口をひねればいつでも安全な水がでてきます。
その実現のために、
いったいどれだけの人達の善意が、情熱が、
努力があったのでしょう?
その方々の笑い顔を想像してみてください。
それだけで善なる思いで心を充たすことができるのです。
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いくら努力しても、なかなか成功に至りませんか?
目標を貪ってはいませんか?
先ず小さな目標を立て、小さな結果を出して下さい。
その積み重ねの先に成功があります。
大きすぎる目標に向かって、
結果の出ない努力をいくら続けても、
その先に成功はありません。
走ろうとせず歩いて行きましょう。
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あなた自身が信じていなければ、
誰があなたを信じるでしょう?
あなたが強く自分の未来を信じれば、
周りの人達もあなたの未来を信じます。
可能性があるから、信じられるのではありません。
強く信じるから、可能性がでてくるのです。
「私はできる!」
まず強くそう信じるところから始めましょう!
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未熟な心に善が入れば不善が出て、
不善が入れば不善が出ます。
悟った心に善が入れば善が出て、
不善が入っても善が出ます。
修行の心に善が入れば善が出て、
不善が入れば不善が出ます。
故に僧院では互いに善を捧げ、
不善を投げつけてはいけません。
不善を受け止めるほど心は熟していないのです。
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煩悩が心を汚染し、
現象を如法に観る眼が覆われると、
心の視野は極度に狭まり、
視力も衰えて一切が近視眼的になってしまいます。
正しきを正しきと知ることも、
誤りを誤りと知ることもできません。
素直さ、謙虚さ、誠実さで突破して下さい。
心にそれらが生起しているなら正に天の祝福です。
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今生の誕生から臨終までを、
完璧な人生にしよう、という発想は余りに素朴です。
一瞬一瞬生起消滅する心の連続体は、
臨終後も別の境涯で流れ続けます。
本当に大切なのは、
今この瞬間に生起する対象への心の反応です。
輪廻転生はその総和であり、
私達は正にそこから脱出しようとしているのです。